「超訳 ニーチェの言葉」を読んで・・・
- 2010/04/17(Sat) -
超訳 ニーチェの言葉/著者不明



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「本を読んでも」

本を読んだとしても、最悪の読者にだけはならないように。
最悪の読者とは、略奪を繰り返す兵士のような連中のことだ。

つまり彼らは、何かめぼしいものはないかと探す泥棒の眼で本のあちらこちらを適当に読み散らし、やがて本の中から自分のつごうのいいもの、今の自分に使えるようなもの、役に立つ道具になりそうなものだけを取り出して盗むのだ。

 そして、彼らが盗んだもののみを、あたかもその本の中身のすべてであるというように大声で言ってはばからない。
そのせいで、その本を結局はまったく別物のようにしてしまうばかりか、さらにはその本の全体と著者を汚してしまうのだ。




 こういったブログの記事を書いていて、なるべく批評にならないように気をつけてはいるものの、どうしても内容に沿った批評をしてしまう。

人それぞれ本を読んだ感想があるはずだから、なるべく自分の感想の域を超えないようには心がけている。





 いわゆる古典を読むと、国内・国外問わず、どうしても文章の言い回し自体が現代語ではない部分があるため読みにくい。
最近そういった書物を現代語版に訳して読みやすくしたものが少しずつ発売されている。
これもその中の一冊。

内容自体は細かく内容が分けられているため読みやすい。

こういった内容は、読むまではかしこまってしまうけれど実際は非常に感じやすい内容が多い。
歴史上の人物の残した思想や言葉は、今まで残っているという点ですでに多くの人が共感や目標としてきている証となっていると思う。

複数人が色々な事柄に対して言葉を残しているので、必ずしも全てが全ての人にあてはまる事はないだろうが、一つの指標とした知識にもなり、個人的に非常に興味深い。

ニーチェの言葉にも、一つ一つ自分を照らし合わせながら読んでいくとすんなりと心に入ってくるような感覚。







 そして、これを読み進めていくうちに自分の勘違いをしている部分を見つける。

それが、「自分の信念」という事。
いつからか、信念はこれ!と決め付けてしまっていた。
だが、決め付ける信念は自分の可能性の向上を捨ててしまう。

無知の知を信念の一つにしているにも関わらず、信念をこれ!と決め付けてしまう事は、それ以上の可能性を捨ててしまっているのと同じ。
何も知らないのだから、今正しいと思っている事がいつ書き換わるかわからない。
常に書き換えていく事を前提に模索しなくてはならないのに、「信念はこれだ」と決め付けてしまう事は間違っていた。



「読むべき書物」

わたしたちが読むべき本とは、次のようなものだ。

読む前と読んだあとでは世界がまったくちがって見えるような本。

わたしたちをこの世の彼方へとつれさってくれる本。

読んだ事でわたしたちの心が洗われたことに気づかせるような本。

新しい知恵と勇気を与えてくれる本。

愛や美について新しい認識、新しい眼を与えてくれる本。


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