血液型別性格診断の研究?
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- 2010/02/12(Fri) -
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よく「典型的なA型だよねぇ」とか「いかにもB型って感じだ」とか血液型別で性格の傾向を表す事がある。
学会で「血液型の違いによって性格への作用はない」という研究結果にもかかわらず、だ。 いったいなぜそうなるのだろう? 性善説・性悪説とあるが、実際には人間が生まれたときに先天的な異常がない限り、実際には白紙の状態でこの世に生をうける。 そこから性格が形成されていく。 現代心理学がどうかはちょっとわからないんだけど、一昔前はフロイトの性格形成でエディプス期にはこういった性格が形成されるみたいな感じが信仰されていたが、ここではもっと大まかに考える。 教育とかの事だと考えると話がはやい。 多くの人間が生まれてから最初に接するのが親という存在。 親に生かしてもらい、そして生き方を学ぶ。 その際に行動だけではなく、性格も真似ながら形成される。 A型、B型、O型、AB型と血液型には4種類しかない。 A型の親で子供がそれを真似して性格を形成していくと、自然とA型の行動となる。 他の血液型でもそう。 それが何世代にもわたって繰り返し行われる。 A型(AA)とA型(AA)の両親から突然B型の子供が生まれる事はない。 全ての血液型に対して、相対的に親と子の性格が似ている事が繰り返し世代をまたいで行われる。 そうすると、全体から見ると「A型はこういった性格」「O型はこういった性格」といった傾向が偏ってくるのだろう。 では「典型的な○型の性格」というのはどういったものなのだろうか。 自分は「典型的なA型」と言われるタイプだ。 それと昔から自分の周りにはB型の人間が多いため、「典型的なB型」というタイプの人間のサンプルがたまっている。 その両者を比較してみた。 根本的な違い、それが見える。 どちらがいいか悪いかという問題ではないが、典型的なA型の人間と典型的なB型の人間の根本的な違い、それが「何を見て行動しているか」だと思われる。 典型的なA型の人間は「几帳面で細かい」と言われるが、それらは「他人から見てどうすれば綺麗に見えるか」という点を重視した思考となっている。 それが他の行動にも表れ、常に「他人から見てどうか」という意識を持って行動を起こす。 それとは違い典型的なB型の人間は「わがままで自己中心的」と言われるが、それらは「自分から見てどう見えるか」という点を重視したために他人からはそう見える。 自分はこうしたいから、という意識が強いため他人からは受け入れられない場合がある。 では他の血液型はどうなのか。 O型の人間は、AやBなどが混血している場合が多く、その場合は両親もAだったりBだったりOだったりと、一つの傾向に偏りにくい性格のためサンプルが取りにくい。 AB型の人間は絶対数が少ないため、それもサンプルが取りにくい。 血液型自体に性格を左右する要素がなくとも、形質を有しない遺伝という形で血液型が性格に対する要素を持ち合わせている、という結論を見出すにはまだ実験結果が少ない。 性格の遺伝という点に関しては、性格だけではなく素質や才能もそうなのではないか、と最近は考えている。 努力という点も、人によって努力に対する物差しが違う。 「自分はこれだけがんばった」と言っても、それは他人からしたら25%くらいのがんばりと同じ分量かもしれない。 なぜそれだけの差異が生まれるか。 それは、それまでに経験した努力の絶対値が差となってしまっているから。 今までの努力の最大値も、自分の周りの人を見て変化する場合もあると思う。 という事は、自分の両親が過去にどれだけの行動をしていたか、を見ているかどうかで自分の中の最大値が、それは努力だけではなく、変化してくるはずだ。 スポーツ選手の子は、自分の小さい頃から親が運動をしている環境で育つ。 すると、運動する事が特異な事とは感じないで成長するだろう。 それとは逆の場合もある。 どちらの子が成長した時にスポーツが得意になるか、という事だ。 性格や才能、努力などは決して決められて生まれてきたものではない。 という事をふと思いついたw どーでもいい事が時々思いつくのはどんな影響が関わっているのだろうか?w ブログRankingへ応援もよろしくお願いします! ![]() にほんブログ村
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