養老孟司【逆さメガネ】を読んで
- 2010/01/30(Sat) -
養老孟司の“逆さメガネ” (PHP新書)/養老 孟司



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 私の子供の頃の遊びと言えば、とりあえず外に出て、幸いにも家の近くには川や神社などの遊び場所がたくさんあったために四季に合わせた「遊び」をしていた。


今の時期、夏であれば朝から夕方までひたすらセミを捕まえ続けたものである。


子供の頃といっても、20年ほど前だ。


20年経った今年の夏。 あの頃と変わっていないセミの声は聞こえるがその姿は見えない。


100センチ前半だった背丈でも手で捕まえられる位置にいたセミが、今はいない。 はるか木の上のほう、今では180センチある身長でも捕まえることが出来ないほどの高さにしかセミを見つけることが出来なくなってしまった。




セミを捕まえる能力が下がっただけだろうか。


いや、そうではないと思う。 


世間が判定する「絶滅危惧種」などでなくとも、自然全体がつねに変化している。




















 「現実はひとそれぞれ」 「あなたの行動に影響するものが、あなたの現実だ」





何が正しくて何が正しくないか、という判断は誰にも「これ」と言えない事、その時々で違ってくる場合がほとんどだから、それでもそれを判断しようという意識を持つ事じたいをやめてしまう場合がある。


それが「行動に影響しないもの」だから現実としないでやめてしまったり、それを意識する事によって現実としなくてはならずに自分の行動を起こさなくてはならなくなってしまうのを避けようとしたりするから。




大人になると、自分の周りにしか目がいかない。


「万物は流転する」という事を忘れてしまっている。 そのために「逆さメガネ」をつけてものごとを見なければ物事が正しい方向で見れなくなってしまっている。
















 最近、政治を見ていてなんだかやりきれない気分、それを現実としたくない気分になる。


それは政治家が「自分の周りに起こった事を現実とはせず、これから起こす事だけを現実にしようとしている」事に対しての拒否感で「政治に積極的に協力・参加して現実としよう」と思えなくなっているからだ、と気づいた。




何が正しい、何が正しくない、という事を論議するつもりはないが、「正しくない」と判定された、もしくはそれに近い評価を受けたにもかかわらず、次は変わります! これから清算します!という事で次へ進もうとする。


それを繰り返しているだけなのではないだろうか。




膿んだけど、膿みを全て出さずに、見た目綺麗にしたらまた膿んできました。


膿んだけど、膿みを全て出さずに、見た目綺麗にしたらまた膿んできました。


膿んだけど、膿みを全て出さずに、見た目綺麗にしたらまた膿んできました。




何回繰り返しますか?












 誰でも現実をしっかりと見よう、とする事は怖いし面倒くさい。


だけど「逆さメガネ」を使わなくても現実を見れるようになる努力をしなければ、それは全ての人が幸せにはなれないという事だろう。


常に意識する。 自然は流転しているから。


それを現実と認めないでい続けるともったいない。




昔は良かった、というが今は本当はもっといいのかもしれない。




この本では教育という観点で全てを書いているが、教育とは大人になるまでの間だけではなく、生きている間は常に受けている、受けようとするものだと思う。


それを忘れないでいたい。






以上で「養老猛司の<逆さメガネ>」の読書感想文を終了します。








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