ケイゴリアン
- 2010/12/26(Sun) -
東野圭吾の本を好んで読んでいるんだけど、読めども読めども次から次へと読みたい本が。
凄い勢いで新刊が発売されているのよね。 こんなに一人の作家って本を出しているものなの?

で、自分で何を読んだかがわからなくなってきたので、WIKIを引用して読んだのをまとめてみようかと。

自分用で。 参考用で。



加賀恭一郎シリーズ

卒業―雪月花殺人ゲーム(1986年、講談社/1989年、講談社文庫)
『卒業』に改題(2009年、文庫新装版時)

眠りの森(1989年、講談社/1992年、講談社文庫

どちらかが彼女を殺した(1996年、講談社ノベルス/1999年、講談社文庫

悪意(1996年、双葉社/2000年、講談社ノベルス/2001年、講談社文庫

私が彼を殺した(1999年、講談社ノベルス/2002年、講談社文庫)

嘘をもうひとつだけ(2000年、講談社/2003年、講談社文庫)

赤い指(2006年、講談社/2009年、講談社文庫)

新参者(2009年、講談社)




探偵ガリレオシリーズ

探偵ガリレオ(1998年、文藝春秋/2002年、文春文庫)

予知夢(2000年、文藝春秋/2003年、文春文庫)

容疑者Xの献身(2005年、文藝春秋/2008年、文春文庫)※第134回直木賞受賞作品

聖女の救済(2008年、文藝春秋)

ガリレオの苦悩(2008年、文藝春秋)

真夏の方程式(2011年6月刊行予定、文藝春秋)




天下一大五郎シリーズ

名探偵の掟(1996年、講談社/1998年、講談社ノベルス/1999年、講談社文庫)

名探偵の呪縛(1996年、講談社文庫)




浪花少年探偵団シリーズ

浪花少年探偵団(1988年、講談社/1991年、講談社文庫)

浪花少年探偵団2(1993年、講談社)
『しのぶセンセにサヨナラ-浪花少年探偵団・独立篇』に改題(1996年、講談社文庫)




その他の作品

放課後(1985年、講談社/1988年、講談社文庫)

白馬山荘殺人事件(1986年、光文社 カッパ・ノベルス/1990年、光文社文庫)

学生街の殺人(1987年、講談社/1990年、講談社文庫)

11文字の殺人(1987年光文社カッパ・ノベルス/1990年、光文社文庫)

魔球(1988年、講談社/1991年、講談社文庫)

香子の夢-コンパニオン殺人事件(1988年、祥伝社)

『ウインクで乾杯』に改題(1992年、祥伝社文庫/2003年、大活字文庫)

十字屋敷のピエロ(1989年、講談社ノベルス/1992年、講談社文庫刊)

鳥人計画(1989年、新潮社 新潮ミステリー倶楽部/1994年、新潮文庫/2003年、角川文庫)

殺人現場は雲の上(1989年、実業之日本社ジョイ・ノベルス/1992年光文社文庫)

ブルータスの心臓(1989年、光文社カッパ・ノベルス)
『ブルータスの心臓-完全犯罪殺人リレー』に改題(1992年、光文社文庫)

依頼人の娘(1990年、祥伝社ノン・ノベル)
『探偵倶楽部』に改題(1996年、祥伝社文庫/2005年、角川文庫)

宿命(1990年、講談社ノベルス/1993年、講談社文庫)

犯人のいない殺人の夜(1990年、光文社/1994年、光文社文庫)

仮面山荘殺人事件(1990年、徳間書店トクマ・ノベルス/1995年、講談社文庫)

変身(1991年、講談社/1993年、講談社ノベルス/1994年、講談社文庫)

回廊亭の殺人(1991年、光文社カッパ・ノベルス)
『回廊亭殺人事件』に改題(1994年、光文社文庫)

交通警察の夜(1991年、実業之日本社)
『天使の耳』に改題(1995年、講談社文庫)

ある閉ざされた雪の山荘で(1992年、講談社ノベルス/1996年、講談社文庫)

美しき凶器(1992年、光文社カッパ・ノベルス/1997年、光文社文庫)

同級生(1993年、祥伝社/1996年、講談社文庫)

分身(1993年、集英社/1996年、集英社文庫)

怪しい人びと(1994年、光文社/1998年、光文社文庫)

むかし僕が死んだ家(1994年、双葉社/1997年、講談社文庫)

虹を操る少年(1994年実業之日本社刊/1997年、講談社文庫)

パラレルワールド・ラブストーリー(1995年、中央公論社/1997年、中央公論社 C★NOVELS/1998年、講談社文庫)

怪笑小説(1995年、集英社/1998年、集英社文庫)

天空の蜂(1995年、講談社/1997年、講談社ノベルス/1998年、講談社文庫)

毒笑小説(1996年、集英社/1999年、集英社文庫)

秘密 (1998年、文藝春秋/2001年、文春文庫)

白夜行(1999年、集英社/2002年、集英社文庫)

片想い(2001年、文藝春秋/2004年、文春文庫)

超・殺人事件 推理作家の苦悩 (2001年、新潮社新潮エンターテイメント倶楽部SS/2004年、新潮文庫

レイクサイド(2002年、実業之日本社刊/2006年、文春文庫)

トキオ(2002年、講談社)
『時生』に改題(2005年、講談社文庫)

ゲームの名は誘拐(2002年、光文社刊/2005年、光文社文庫)

手紙(2003年、毎日新聞社/2006年、文春文庫)

おれは非情勤(2003年、集英社文庫)

殺人の門(2003年、角川書店/2006年、角川文庫)

幻夜(2004年、集英社/2007年、集英社文庫)

さまよう刃(2004年、朝日新聞社出版本部/2008年、角川文庫)

黒笑小説(2005年、集英社/2008年、集英社文庫)

使命と魂のリミット(2006年、新潮社/2010年、角川文庫)

夜明けの街で(2007年、角川書店/2010年、角川文庫)

ダイイング・アイ(2007年、光文社/2011年、光文社文庫)

流星の絆(2008年、講談社)

パラドックス13(2009年、毎日新聞社)

カッコウの卵は誰のもの(2010年、光文社)

プラチナデータ(2010年、幻冬舎)

白銀ジャック(2010年、実業之日本社文庫)

あの頃の誰か(2011年1月刊行予定、光文社文庫)

マスカレード・ホテル(2011年9月刊行予定、集英社)




読んだやつが横線で。
こうやってみるとぜんぜん読んでないなぁ

東野圭吾だけ読んでるわけじゃないから、このペースで行くと永遠追いつかない気がする。
年3冊とか新刊発売される?

地道に読んでいこうかな。



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東野圭吾作品【幻夜」を読んで・・・
- 2010/07/24(Sat) -
幻夜 (集英社文庫 (ひ15-7))幻夜 (集英社文庫 (ひ15-7))
(2007/03/20)
東野 圭吾

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「その時にうけたイメージとこの女性が発するイメージが一致しないのだ」



 読書をしていない期間=読書ブランクがしばらくあった(読書していた時間にドラクエをやっていたため)
さてそろそろドラクエやる事もなくなってきたし、読書を再開しようかな という事で古本屋やら本屋やらに行って気になった本を多数購入。
その中でも東野圭吾作品を多数購入した。  本当に東野圭吾作品の多さにびっくりする。

そして数冊目、この幻夜を読む。





文庫本で800P弱の幻夜。
白夜行と同じようなP数でタイトルの雰囲気も似た感じ。
読みながら「あれ? これってなんか繋がりあったんだっけ?」と似ている部分が非常にあるが、大きな違いも同時に感じる。

同じ部分は、物語の中心に位置づけられる、これらの作品の中では事件の加害者と思われる人物2人の男女という部分。

しかし、この2人の男女の表現上の性質が2作品で大きく異なる。
白夜行では女性はあくまでも前に出てこないイメージ、幻夜では常に前でひっぱっているイメージ。

似ている、だが違う。  この2作品のつながりは何?

そして幻夜はどうなっていくの?









 白夜行を読んだときの感想で「あ、つながったと思える瞬間を感じた」と書いたが、幻夜では「あ、一気に謎にすいこまれた」と思う一文があった。
それが冒頭に書いた一文(の一部)

読んでいると、誰が悪者でどんな悪さをしているかはわかるんだけど、どうも謎がこれからどう深まってそれをどうやって解いていくのか、というミステリーを読む楽しさの醍醐味に対しての疑問が渦巻いていた。
だけど、この一文を読んだときに一気にテンションがあがった。

なんと! みたいな感じで。





 そこからは読み進めるテンションが高いまま。
あとがきまで読んで、白夜行と幻夜の繋がりがやっとわかった。  そして続きも・・・?

白夜行→幻夜と続けて読む事をおススメします。  

百夜行は今度映画化されるらしい。  見たいかも。



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東野圭吾作品【白夜行】を読んで・・・
- 2010/07/17(Sat) -
白夜行 (集英社文庫)白夜行 (集英社文庫)
(2002/05/17)
東野 圭吾

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 「白夜行」とはどういった意味なんだろうか。  そう思いながら読み始めた東野圭吾作品。


【白夜】

真夜中になっても薄明 になっているか、または太陽 が沈まない現象のこと。

WIKIより引用




 前半、いったい誰が何をどうなるのかが予想出来なかった。

誰が主人公?  どんな事件?   何が謎になる?

断片的に事件が続いてはいるものの、それらが繋がらない。 これからどうなる?

しかし、それがだんだんと見えてくる。  二人の主役「雪穂」と「りょうじ」が謎を作って行ってるんだな、と。

だがそれでも中々謎が、ストーリーが繋がらない。

別々に進み、このまま繋がらないのだろうか?  

そう思いながら読み進めていく・・・










 読んでいると「あ! つながった!」と思える瞬間を感じる。

そこから全ての謎・ストーリーがつながり・・・・   というわけにはいかないのがこの本の面白いところだった。

最後の最後まで「これは解決しないのか?」という疑問を持ち続けて読み終える事となった。

ミステリーの結末には、完全解決かとりあえずの解決か。 どちらにしろ何かしらの解決を見るとは思う。

今までの事がすべて明かされるのか? それともいくつかの謎は残ったままとりあえず解決するのか?

そのどちらもこの本の内容にはそぐわない、読み進めると感じるようになってくる。


本当は解決しないミステリーやそれ以外のジャンルでも中途半端な終わり、読む人にまかせたような終わり方の本は嫌いなはずなのに。

この白夜行には完全解決をのぞまない気持ちを持ってしまった。






【あらすじ】
19年前(1973年)、大阪 で起きた質屋殺し。何人もの容疑者が捜査線上に浮かぶが、決定的な証拠がないまま事件は迷宮入りに。被害者の息子・桐原亮司と容疑者の娘・西本雪穂は、その後別々の人生を歩んでいくかに見えた。だが、二人の周囲には不可解な凶悪犯罪が次々と起きる…。人の心を失った故の悲劇を、叙事詩的スケールで描いている。


WIKIより引用





読み応えアリ!


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東野圭吾作品【毒笑小説】を読んで・・・
- 2010/04/24(Sat) -
毒笑小説 (集英社文庫)/東野 圭吾



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 東野圭吾といえばミステリーというイメージ。
そのつもりで今回も読み始めたこの本。

短編集なのだが、1話目を読み終えて「???」となった。
あれ? これってどういう気持ちで楽しむ読み物なんだ?






 邪道なのかもしれないが、本編のあとに書かれている対談「東野圭吾×京極夏彦」を先に読みはじめる。
すると「ああ 俺はなんて頭の固い人間なんだ!」と再認識してしまった。

この「毒笑小説」は笑いをテーマにして書かれた読み物。
それを頭から「東野圭吾はミステリー」と思ってしまったがために「???」になってしまっていた。
もっと純粋に楽しめばいいものを・・・   予備知識のイメージの固定化をぶち破れなかった・・・








 とはいっても、「笑い」というのは非常に難しい。
特に文章だけで表現しなくてはいけない小説であればこそ。
普通にイメージする笑いとはまた違ったものとなってくるはず。

パチやスロでもそう。
笑いを目指して作ったとしてもそれをいざユーザーが見ても伝わらない。
いや、初見は伝わるかもしれないが、パチやスロというのは同じ映像過程を何度も繰り返し見て結果が出る事を楽しむものであるから、2度目以降は「はいはい」と流されるORうざがられる可能性が高い。

文章だけで表す笑いとは?






 全て読み、久しぶりに(?)軽い気持ちですいすいと本が読めた充実感。
わっはっはと大声で笑うというよりはニヤリとする感覚が文章での笑?

一番難しいジャンル。 それが笑いを取るという事かも。

それにしても東野圭吾の引き出しは凄い。
いろいろなジャンルで本を出している。

また一つ新しい側面を知ったケイゴリアン(東野圭吾ファン)がここにまた一人w




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「超訳 ニーチェの言葉」を読んで・・・
- 2010/04/17(Sat) -
超訳 ニーチェの言葉/著者不明



¥1,785

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「本を読んでも」

本を読んだとしても、最悪の読者にだけはならないように。
最悪の読者とは、略奪を繰り返す兵士のような連中のことだ。

つまり彼らは、何かめぼしいものはないかと探す泥棒の眼で本のあちらこちらを適当に読み散らし、やがて本の中から自分のつごうのいいもの、今の自分に使えるようなもの、役に立つ道具になりそうなものだけを取り出して盗むのだ。

 そして、彼らが盗んだもののみを、あたかもその本の中身のすべてであるというように大声で言ってはばからない。
そのせいで、その本を結局はまったく別物のようにしてしまうばかりか、さらにはその本の全体と著者を汚してしまうのだ。




 こういったブログの記事を書いていて、なるべく批評にならないように気をつけてはいるものの、どうしても内容に沿った批評をしてしまう。

人それぞれ本を読んだ感想があるはずだから、なるべく自分の感想の域を超えないようには心がけている。





 いわゆる古典を読むと、国内・国外問わず、どうしても文章の言い回し自体が現代語ではない部分があるため読みにくい。
最近そういった書物を現代語版に訳して読みやすくしたものが少しずつ発売されている。
これもその中の一冊。

内容自体は細かく内容が分けられているため読みやすい。

こういった内容は、読むまではかしこまってしまうけれど実際は非常に感じやすい内容が多い。
歴史上の人物の残した思想や言葉は、今まで残っているという点ですでに多くの人が共感や目標としてきている証となっていると思う。

複数人が色々な事柄に対して言葉を残しているので、必ずしも全てが全ての人にあてはまる事はないだろうが、一つの指標とした知識にもなり、個人的に非常に興味深い。

ニーチェの言葉にも、一つ一つ自分を照らし合わせながら読んでいくとすんなりと心に入ってくるような感覚。







 そして、これを読み進めていくうちに自分の勘違いをしている部分を見つける。

それが、「自分の信念」という事。
いつからか、信念はこれ!と決め付けてしまっていた。
だが、決め付ける信念は自分の可能性の向上を捨ててしまう。

無知の知を信念の一つにしているにも関わらず、信念をこれ!と決め付けてしまう事は、それ以上の可能性を捨ててしまっているのと同じ。
何も知らないのだから、今正しいと思っている事がいつ書き換わるかわからない。
常に書き換えていく事を前提に模索しなくてはならないのに、「信念はこれだ」と決め付けてしまう事は間違っていた。



「読むべき書物」

わたしたちが読むべき本とは、次のようなものだ。

読む前と読んだあとでは世界がまったくちがって見えるような本。

わたしたちをこの世の彼方へとつれさってくれる本。

読んだ事でわたしたちの心が洗われたことに気づかせるような本。

新しい知恵と勇気を与えてくれる本。

愛や美について新しい認識、新しい眼を与えてくれる本。


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